英国といえばコーヒー?【雑学】|香珈房Blog     

2015年5月5日火曜日

英国といえばコーヒー?【雑学】

英国で25年ぶりにプリンセスが誕生したということでニュースになっていますね。便乗するわけでなないんですが、ブログを書くにもテーマがあった方が書きやすいので、折角ですから英国とコーヒーの深い関係について書いてみようと思います。

「でも、英国と言えば紅茶じゃないの?」そう思われる方も多いと思います。しかし、かつて英国でコーヒーハウスが大流行した時代がありました。そこはあらゆる階級の人が自由に出入りできる、英国男性の気軽な社交場として17世紀に登場してから瞬く間に流行し、18世紀の最盛期には3000店にも達していたと言われています。当時は英国といえばコーヒーと言っても決して過言ではなかったのです。その流行がいかにすごかったかを示すいくつかの興味深い出来事を取り上げてみました。


【ペニー大学】
この言葉は聞いたことがある方も多いかもしれません。英国のコーヒーハウスは“ペニー大学”と呼ばれることもありました。新聞や雑誌を無料で読め、いろんな人の話を聞ける貴重な場所であり、店に入る費用はわずか1ペニーだったことからそのように呼ばれるようになりました。

ただ、あらゆる階級の人々が自由に出入りできたので、客同士のトラブルを避けるため、コーヒーハウスの店主は「店内で喧嘩始めたる者あらば、コーヒー一皿を全員に振る舞うべし」とか「紳士階級の方、商人の方、当店にてはどなたでも歓迎す。一同共に座るのは無礼ならず」といった利用者の心得を壁に貼り出していたそうです。


 【風刺チラシ】
1663年に「一杯のコーヒー、あるいはコーヒーの本質」というチラシが登場しました。
そのチラシにはコーヒーやコーヒーを飲む人のことを「忌まわしき飲み物」「煤(すす)のシロップ、古靴の煮汁なり」「男並びにキリスト教徒をトルコ人に変えるなり」「罪犯せど、飲み物のせいと言い訳す」と書いてあったそうです。
偏見のかたまりみたいな内容ですが、このチラシは当時のコーヒーハウスの流行がどれほどのものだったかを示しています。その流行はそれまで英国男性が集う社交場の代表であったパブやビアホールからたくさんの客を奪うことにもなったからです。実際そのチラシには、コーヒーを罵る一方でワインについては「神々も飲みたる純な飲み物、人々飲す。芳醇なる葡萄酒により純化される」と持ち上げています。いわゆるパブやビアホール経営者らによるネガティブキャンペーンだったのかもしれません。

でも、「罪犯せど、飲み物のせいと言い訳す」なんて、どっちかってーとアルコールの方じゃない?って、このチラシを考えた人は思わなかったんでしょうか。ねぇ。


【コーヒーハウス閉鎖令】
1675年に国王チャールズ2世によって布告されたものの、国民の総スカンによりわずか10日で別の布告により事実上の撤回をするという・・・。

当時「コーヒーハウスの存続」が「言論の自由」を守ることを意味していたということを考えると、コーヒーハウスに集い、交わる人々がそこから生み出した社会経済への影響は決して小さなものではなかったことがわかりますね。




さて、18世紀後半になると英国男性の社交場としてのコーヒーハウスは衰退、多くは酒場などに形を変えていき、英国では他の非アルコール飲料として紅茶が広く飲まれるようになります。しかしコーヒーハウスの影響はヨーロッパ各地に及び、お洒落な社交場としてカフェが登場、エスプレッソやドリップなどの抽出法も確立され、コーヒーは市民の飲み物として広まっていきました。


今日でこそ英国は紅茶のイメージですが、コーヒー文化にも大きな影響を与えていたのですね。



(参考資料) 全日本コーヒー協会「Coffee Break Vol.77」22-23p、全日本コーヒー協会ホームページ「コーヒー物語-コーヒーハウスが作った近代」